12世紀から20世紀にかけて建てられた土楼はユネスコの世界遺産に登録されました。土楼は客家人が天然の土を主な原材料として積み重ねて塗り固めた住居です。

 

ここでは、客家のルーツについて簡単に紹介いたします。客家は中国の広東・広西・江西・福建などに住む、かつて華北から移住してきた漢民族の一派です。独自の風習・言語「客家語」を持っています。福建省南靖に生活している客家人は戦乱のため、北の方から運河で移転してきたのです。戦乱の世の中で、強大な家族の結束力を持つ客家人は安らかな生活環境を求めって、福建省の豊富な天然資源を利用して土楼を建てました。

 

土楼は、通常、外部立ち入り禁止の大きな建物で、主に円形をしており、厚い土壁(180センチ以上)と木の骨格から成り、高さは3階か5階、80家族以上が生活しています。1階は台所として使用し、2階は倉庫、3階以上は居間になっています。この構成は土楼の中の全ての部屋で同じつくりになっています。円形をしていたのは、野獣や盗賊を共に防御するためのです。その構造上、儒家の伝統的な一族郎党で生活を共にしています。また、防震、防火、防湿、風通しや採光が良く、冬は暖かく夏は涼しいという特色もあります。

 

1.田螺坑土楼群

写真は田螺坑土楼群です。別名は「四菜一湯」と言います。これは、4つの料理と1つのスープという意味なのですが、正方形が一つ、円形が三つ、楕円形が一つ、合計五つの土楼で構成されています。真中の方形の歩雲楼、右上の円形楼の裕昌楼は約200年前の清朝の嘉慶元年(1796)年に築かれたものです。その後、周辺に振昌楼や瑞雲楼や文昌楼を築きました。五つの土楼は山勢によって分布していて、山々に囲まれています。

近くの展望台から土楼を見下ろすと、咲いた梅の花のように見えます。また、空飛ぶ円盤が着陸したようにも見えます。

 

横から見れば、山の傾斜に建てられていることがわかります。

 

山の裾野の展望台から土楼を見上げると、雄大なチベットのポタラ宮のように、山に聳え立っています。

 

黒い瓦の軒

 

まだら模様 の 土塀

 

村に向かって歩き。

 

日だまりの土楼の一隅。

 

土楼の建築構造。

 

2階以上の部屋はすべて木の板で分けられています。時のながれにも腐食していません。

 

2.裕昌楼

裕昌楼は元朝末に建てられたものです。その構造はとても珍しく。軒を支える柱が斜めになっていることから「東倒西歪楼」とも呼ばれています。外観は他の土楼とは変わりませんが、中に入って見るとその構造の不思議さに気付きます。ピサの斜塔を思い出してしまうのは私だけでしょうか。

 

裕昌楼は5階建てで、270部屋あります。3階から、すべての梁の柱は左に傾斜しています。最大傾斜度は15度もありました。5階までは、右に傾斜しています。

 

裕昌楼内のもう一つの特色は楼中厝です。その石畳は、8つの卦の形で石を敷き詰めて舗装れています。

 

楼中厝内の小さな芝居の舞台。

 

3.塔下村

塔下村は中国の代表的な観光村落です。村の中には谷川が‘S’の形で流れています。その右上と左下に円形の土楼が一つずつあります。まるで、太極図みたいです。「太極塔下村」とも呼ばれています。村の土楼は谷川に沿って建てられました。最も独特なのは浙杭水郷式の土木、煉瓦木構造の吊角楼、小橋と流れる川です。村の中を少し歩くと、両岸にまたがった石橋があ ります。「闽南周庄」と呼ばれています。

 

(囲裙楼)エプロン楼は村の中に独特な風景として存在しています。楼の外観

 

( 囲裙楼 ) エプロン楼

 

村東は、明朝末370年の歴史がある張氏家の廟の前に建てられたものです。村東には 10メートル超える石材で彫刻した竜の旗竿がなんと23本も建っています。


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